ソラノイエ 農村滞在型の宿 岐阜県下呂市でファームステイ【farm stay】

岐阜県下呂市の農村滞在型の宿【ソラノイエ】でファームステイ【farm stay】

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ソラノイエ便り

農村暮らしの近況報告

私の下呂移住物語vol.01 ~東京編~

移住:2018年7月7日

私が田舎に興味を持ち始めたのは、2010年ごろだったのかなと思う。
だからといってすぐに行動できるほど勇気もなくて、なんとなくいいな〜と思い始めたのがこのころ。

当時は東京でTV-CMを作る仕事をしていて、毎日が仕事中心で朝も夜も関係なく働いていた。タクシーを当たり前のように使い、外食、出前、コンビニ、スタバやタリーズでコーヒー、休みの日は寝て過ごして終わる。そんな日々だった。メディアの仕事というのは華やかなイメージもあり、チームで映像を作るという面白さももちろんあった。でも、時代の変化もあって、少しずつ違和感を感じ始めたのがきっとこのころだと思う。
ふと、仕事に余裕ができた瞬間、自分は仕事以外で何をしたいんだろうとか、ここに缶詰になっていたらその世界しか知らない、と考える時間ができた時、東京の外、知らない世界への好奇心がどんどん膨らんでいった。
当時、私が担当していた仕事の中で「自然の中での暮らし」というようなテーマで作る作品があった。どんな暮らしが人の心を動かすのか、素敵な自然暮らしを営む人の本や雑誌を資料としてたくさん読んでいるうちに、自分自身がとても憧れを抱くようになっていったように思う。丁寧に料理をしたり、手作りを楽しむということがとても豊かな生活に見えて、いつかこんな暮らし方ができたらいいなぁなんて、実現させようとまでは思わずぼんやりと考えていた。

そんな時、東日本大震災が起こった。
揺れた瞬間はビルの中にいて、外に避難したものの高層ビルが余震で揺れる光景はとても異様だったのを覚えている。
その後も仕事をしなければと思っていた私は、大渋滞のタクシーの中で、たくさんの人がヘルメットをかぶりながら歩いて帰ろうとする光景を見ながら、こんな時に仕事をすることが誰かのためになっているのかなぁと思いながら次の日もその次の日もずっと働いていた。コンビニには、食べ物や飲み物が消えて、納豆やヨーグルト、豆腐は何日も食べれなかった。聞けばそれは、パックする工場がダメージを受けてしまったり、配送が混乱していることにあるという。「東京の暮らしは不安定」。そう思ったし、自分が買うことに依存しすぎて、経済の流れの中で供給されるのを待つしかないという受け身な生き方になっていることが、ちゃんと自分で生き力をつけたいなと思うようになったきっかけだったと思う。

また、震災の少し前だったと思うけど、少し長い休みをもらって北海道にWWOOF(※)というシステムを使って滞在をした。その時にお世話になった夫婦は、以前は渋谷の某TV局のディレクターのかたで、やめて農家レストランをしているということだった。旦那さんは始める前に料理の修行をして、奥さんはオーストラリアでWWOOFをしたと教えてもらった。そのオーストラリアでパーマカルチャー(※)というものに出会ったと聞き、自然と共に生きる暮らし方にとても興味を持ち、私も見てみたい知りたい、ととても興味をもった。

※WWOOFというのはWorldwide Opportunity of Organic Farms の略で、オーストラリアやニュージランド、アメリカ、ヨーロッパでも盛んな組織で、有機農業をする農家に滞在し働いて、それと交換に泊まる場所と食事の提供をしてもらうという交換が行われるもの。インターネットで登録している農家さんをみつけて直接農家にコンタクトをとるという流れになる。

※パーマカルチャーは、パーマネント(永続的な)とアグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を合わせた言葉。人と自然が共に豊かになる関係を築いていくため、持続可能な環境づくりを目指して暮らしや社会、地球全体をデザインしていく概念。

学生のころから、旅は好きで海外も頻繁に行っていたけど、英語が話せないことがとても悔しくて、いつか話せるようになりたい、一度暮らしてみたい、といつも思っていた。よし、こうなったら「オーストラリア」で暮らしてみようと思うようになった。
でも、東京を離れることへの未練だったり、任されている仕事のこともあって、踏ん切りがなかなかつかなかった。
ふと入った岡本太郎展でもらったチケットに「人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう。」と書いてあって、やっぱり、自分がやりたいことのために”今”の時間を使いたいと、そうでないと私は傍観者だと思って、人に気を遣ったらり、仕事の関係だったり、いろんなことを考えるのをやめて、「会社辞めます」と言った。

会社辞めると決めてから、オーストラリアのどこに住むか調べて、まずは英語が話せないとしょうがないので、語学学校に通おうと代理店に通って学校や暮らす都市を探した。あったかくて海のアクティビティができる場所、なんてことをイメージしていたけれどぼ、「メルボルン」というオーストラリアの南に位置する都市が、学ぶには良い環境だということや、アートも盛んだというところに惹かれて「メルボルン」に決めた。
そして、この出発が2012年の2月。
10年暮らした東京を離れて、無職になり、多くない貯金を持って、飛行機に乗って新しい暮らしを始めることになった。

続きは次回、オーストラリア、メルボルンでの生活を書きたいとおもいます♪お楽しみに〜〜

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